才能
- 田中 沙耶
- 2020年12月26日
- 読了時間: 4分
こんにちは☺
今回は、ずっと自分で考えたりモヤモヤしていたことを文章にまとめたいと思って書き始めました。
今回のテーマは「才能」についてです。
美術ってなにかと才能っていう言葉が付きまとってくるんですよね。
その才能という言葉にたまに違和感を覚えるので自分なりに決着をつけたくて書いてみます。
アトリエクルールは体験教室をやっているのですがうちの教室の理念や活動内容に納得されない方は当たり前ですが「ああ、ここは違うな」と入会されないです。
この教室を立ち上げたとき、色んな教室のホームページを片っ端から見たんですが教室によって課題内容も違うし、先生によって教室の雰囲気もがらっと変わるのがわかりました。
アトリエクルールはシーンとした空気の中緊張感をもって取り組むというよりも、みんなで楽しくという感じなので(騒ぎすぎたら怒りますが)そこだけでも違いますよね。
それと教室の理念というか、モットーもきっと違うんだろうなと思うのですが、たまに聞くのが美術の英才教育をしている教室です。
英才教育を求めてうちの教室にこられると「ここは違うな」と思われるんだろうなと思います。
私が課題を作るときは子どもの年齢に合わせた課題を考えます。
例えば小学1年生、2年生の教科書に「造形遊び」というものがあります。この年齢では遊びを通して色や感触や様々なことを体験しながら製作していくのですが、私も教室ではこの考え方を取り入れているので「遊び」を大切にしています。
でもこの「遊び」を誤解されることがあります。
きっと英才教育を求めてこられる方は「遊び」じゃなく、勉強のように絵の描き方をもっと具体的に指導してほしいと思われているんだろうなとその時は感じました。
そんな時はこの時期にしか育たない発想の部分とかがあるのに、結果である作品だけをみて判断してしまうのはもったいないな、作品を作る過程で学んでいることもたくさんあるのにな、と思うのです。
英才教育では具体的にどんな内容をしているのかは私もわからないのですが、たまに
見学や体験に来られる保護者の方に「先生は子どもに絵の才能があるかどうかわかりますか?」と聞かれることがあって、「才能」という言葉になんだかびっくりするんですよね。
美術において、「才能」といえば、才能がある人と表現されることがあります。
よく「私は絵の才能がないから」「絵心がないから・・・」という方がいますが、私はいつもここに違和感がありました。
絵の才能というより、絵を描くことが好きか嫌いかなのではないのかな・・・?と
正直才能があるかどうかは私にはわかりません。
どれだけ技術力があっても、将来絵を描くことをやめていたら意味がないからです。
いい絵とよくない絵を決める基準があったとして、技術がないからよくないと誰に決められるものでもないです。
だから、子どもに才能があるかないかを決める権利じたいだれも持ってないし仮に才能がなかったらなんなのか?絵を描くことをやめされられるのか?、ということを考えてしまって保護者の方の「才能」という言葉に驚いてしまったのと少し悲しくなったのでした。
見たものをそっくりそのまま写実的に描けることだけが才能じゃないよと。
子ども自身が持っている能力はあると思います。
たとえば、丁寧に描くことができるとか、発想が豊かだとかそういうことです。
そういう個々が持っている能力を引き出すことができるのは理想ですよね。
そして、以上をふまえて自分なりに出た答えがこうです。
生まれながらに絵が上手な人が才能ある人ではない。
絵が上手になりたいという思いをもって、自分なりに探求していく人が才能ある人なんだと。努力を惜しまず、自分の思うように描けなくてもあきらめないで描き続ける人です。
だっていつの時代も奇才、天才と呼ばれる画家はたくさんの作品を残していたり、寡作の作家でも一枚に長い年月をかけていたりしますよね。
きっとだれよりも作品について考えて情熱を持って制作に取り組んでるはずです。
この自分なりの答えが出るまで色々考えました。
教室に来ている子どもたちが楽しそうに絵を描いているのをみて、ずっと絵を描くことをやめないでほしいなと思いました。
中学生くらいになるとうまく描けなくて悩んでいる子もいます。
「自分には絵の才能がない」と周りと比べて決めてしまったりして。
中学校だと成績がついたりするので、そのとらえ方によってはそう思うこともあるかもしれませんが、絵は描き続けたら必ず上達すると私は思っています。
少なくとも、私には世にいう才能はないのですが、描き続ける才能はあると思っています。
だからこそこの答えに行きついたのかもしれません。



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